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内閣支持率の急落について思う

 通常国会が閉会した先月19日に、安倍首相は記者会見を行い、次のように
コメントした。
 『「信なくば立たず」だ。何か指摘があれば、その都度真摯に説明責任を果
たしていく。~中略~4年前の原点に もう一度立ち返り、建設的な議論を行
い、結果を出していく、そうした政治が実現するよう、政権与党としての責任
を果たしていく。国民から信頼が得られるよう、冷静に一つ一つ丁寧に説明す
る努力を積み重ねていかなければならない。その決意を、国会閉会にあたって
新たにしている。』

 ところが野党各党が国会の閉会中審査を求めたのに対して、政府と自民党は
東京都議選前には「必要ない」として拒否を続けてきた。
 ここでもいつもの通り“丁寧な説明をする”というコメントとはうらはらに、
“不要だ”という逃げるかのような姿勢を示してきた。
 しかし都議選で歴史的な惨敗を喫したことを受け、何とか信頼回復の手立て
を打とうということなのだろう。しぶしぶ「閉会中審査を容認する」というこ
とを報道で知った。
 だが、その日程について提案されたのは、首相が不在の今月10日あるいは
11日だったという。安倍政権不支持の大きなファクターは、安倍政権の政治
姿勢であることを考えると、安倍首相が出席しない審査は、開く意味がすこぶ
る希薄なものになると言わざるを得ない。
私のような素人でも“逃げ回るのか”という疑いを払拭できない。
 その後の経緯を見ると、現在のところ自民党の竹下亘国対委員長氏が「10
日の審査状況を見た上で、(首相出席を)総合的に判断する」と柔軟姿勢を示し
たため、10日の閉会中審査実施で折り合ったというところで折り合いがつい
たようである。
 そしてまた、民進党は首相が帰国する12日以降、衆院予算委で閉会中審査
を行うよう引き続き求め、参院でも10日に内閣と文教科学両委員会の連合審
査を行う見通しで、自民、民進両党の参院国対委員長が明日5日に協議すると
結論が先送りされたという。

 先日のこのブログでも書いたが、都議選で自民党が大敗した最大の要因は、
安倍政権の持つ「体質」そのものだ。議論を封じ、メディアを恫喝して黙ら
せ、人事権を盾に官僚をコントロールし、国民の権利をないがしろにし、政
治を恣(ほしいまま)にするために都合の良いように憲法を書き換えようと
する「根っこ=素性」に言いしれぬ怖れと怒りを覚えるから、「ノー」を突き
つけたのだ。
 『丁寧に説明する』と言ったその舌の根の乾かぬうちに、説明する機会があ
るにもかかわらず口実を設けて逃げ回る姿勢は、“説明のつかないことをして
いる”に違いないという疑いをますます抱かせてしまうことになりはしない
か。

 “説明がつかないこと”と言えば、先日の文春ON LINEで驚くような記事を見
つけた。
 国家戦略特区に関し、獣医学部新設を全国展開する考えを示した安倍首相だが、
その理由について側近に対して、『あまりにも批判が続くから頭に来て言ったん
だ』と吐露したのだと記されていた。“頭にきたから”というような、首相の個
人的な感情で国家戦略特区制度の規定を覆してしまって良いはずがない。
まるで、「首相は超法規的な存在だ」と言っているようなものではないか。法を
遵守することが為政者には最も求められているはずだ。
法に対して、あるいは規定に対して、そのような思い上がった勘違いをしている
から、『自民党は立党当初から党是として改憲を掲げている』などという誤認に基
づく主張が平然とできるのだろうし、そのこと自体が“説明がつかないこと”あ
るいは“説明ができないこと”であることを示していると言える。
 
 個人的と言えば、今回の閉会中審査や臨時国会の招集について拒否の姿勢をかた
くなに続けてきた理由について、「首相は加計問題について追及されることを嫌
がっている」(竹下亘自民党 国対委員長)とか「安倍晋三首相は加計問題につい
て追及されることを嫌がっている」(共同通信 6月27日)といった報道を見る限
り、どこまで個人の都合で国政を操作しようとしているのか、と驚いたり呆れたり
嘆じたりするばかりだ。
これではまるで子どもではないか。子どもでも、試験を受けるのが嫌だから学校を
休むなどということがまともな理由にならないことは承知しているはずだ。
 
 これまでの安倍首相の言動を見る限り、自分に異見を持つ者を「敵」とみなし、
そうした人々と意見を交換して互いに納得できるよう努力することを避け、いたず
らに攻撃的な態度ばかりを示してきた。異見に聴く耳を持たず、討議の本筋とはか
かわりのない事柄を以てヤジを飛ばしたり、個人攻撃をしたりする場面が目に付く
からだ。
異見を持つ野党議員の向こうに、国民がいると認識していれば、そのような乱暴な
態度はとれないはずだ。彼にとっては、野党議員に投票するような国民、野党議員と
同じ考えを持つ国民は、自らが奉仕すべき対象ではなく、負かさなければならない
“こんな人たち”ととらえているに違いない、と思わせるに十分だ。
 憲法十五条に、「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」
と明記されているにもかかわらず、公務員である自分が奉仕者であることをすっかり
忘れてしまっているかのようだ。
 また安倍首相は、多数決による決定が民主的な決定だと胸を張って主張する姿が印
象的だが、それが誤認であることは子どもでも知っている。多数決は議論をつくした
上での最終的な決定手段だが、それでも少数意見を尊重するという態度を放棄すべき
ではないと小学校でも学習するからだ。

 そのような民主主義のイロハすら無視して十分な理解を得るための議論を避け、“議
論は尽くされた”とばかりに多数を占める与党議員数を背景に強引に、そして次々と決
めすぎる政治を行ってきた安倍政権のやりように不審感を抱き、憤りを覚え、危うさを
感じているからこそ、世論調査で支持率が危険水域に入るほどに下がっているのだ。
 内閣改造で閣僚の顔ぶれを変えるなどということで国民の信頼や期待が得られ、支持
率が上がると考えているとすれば、それは間違いだろう。なぜなら、内閣不支持率の急
落は安倍首相の政治姿勢に対する不審・不信が原因だからだ。何よりも自身が「全体の
奉仕者」であるという自覚が希薄な人物が民主国家、法治国家の舵取り役としてふさわ
しくないと強く感じ、これではいけないと強い懸念を抱いているからこそ、「ノー」を
突き付けているのだ。
森友学園の問題、加計学園の問題、閣僚の問題発言等々は、政権を貫く政治姿勢や政治
感覚がもたらした個々の現象でしかない。一切の問題の解消するために必要なことは、
その根を断つことだ。
 ここ数年の政治の劣化を招いたのも、戦後の民主体制を嫌い、戦前・戦中の国家体制
を憧憬し回帰を図ろうとする無謀な政治家が政権を握ったことが最大の原因だ。
 将来こうした政治家が出現しないよう、そして民主国家としての日本が危うくならな
いよう私たちが肝に銘じなければならないのは、国民一人ひとりが見極める目を持ち、
その透徹した目で政治を監視することだ。

 ここまで書いてきたところで、何が起きたのか一転、これまで出席を拒んできた首
相が閉会中審査に出席するという報道を目にした。国民への一層の説明が必要だと判断
したためだと報じられているが、どうであろう。
 説明をすると言ってはいるが、これまでの例を見ると説明にならない説明を繰り返し
て終わるのではないだろうか。おそらくそこでは自分の主張を一方的に繰り返したり、
質問それ自体とは関わりのない個人攻撃をしたりはぐらかしたりすることで目をそら
そうとするのだろうということは、想像に難くない。
 聞くところでは、与党内からも安倍首相の退陣を迫る動きがあるようだ。また、地方
の自民党県連などでも同様の動きがあるという。
 多くの人の目にも、見えすぎるほどに見えているということなのだろう。閣僚の顔ぶ
れを変えたところで、そして現政権の内包する“危うさ”を取り去らない限り国民の信
頼を取り戻すことなど不可能だということに。
 それにしても、この政権の乱暴な仕方によって国民の失ったものの多さを思うと、そ
してそれを取り戻す道の遠さを思うと、暗澹とするばかりである。
 民主国家の危機とも言えるこうした事態にあたって、国民はよくよく学ばなければな
るまい。迂闊な投票行動が、いずれ自分たちの首を絞め、不自由な国にしてしまうのだ
ということ、そして監視の目を怠ればそういう不都合な事態が容易に訪れるのだという
ことを。

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